「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を読みました。「惡の華」「ぼくは麻理のなか」などで人気の押見修造氏が描く、全1巻完結の漫画です。
あらすじ
大島志乃は新・高校一年生。彼女は「あ行」から始まる自分の名前をスムーズに発音することができない。新しい生活に不安と期待を抱きながら自己紹介の練習をする志乃だが、やはり新クラス初日に自己紹介に失敗してしまう。同級生にからかわれ、教師にも理解されず、うつむきがちになる志乃。しかしひょんな出来事から彼女にも友達ができてー。
感想
言葉を円滑に発することのできない吃音症の少女を描いた漫画。作者の押見氏自身の経験がベースになっているとのこと(あとがきより)。気づくといつの間にか最初の言葉が出てこない、という状態になり、例えば「僕は」が「ぼぼぼぼぼぼぼぼくは…」のようになってしまうそうです。
自己紹介に失敗した志乃はクラスメイトの男子・菊地にからかわれたり、また担任教師に「みんなと打ち解けていないから緊張する」と(悪意はないが)筋違いのアドバイスを受け、ますます引っ込み思案に。しかしふとしたことから音楽好きだが音痴で少し気の強い少女・加代と友人となります。しかし志乃はある出来事で加代の音痴を笑ってしまい、友人関係にヒビが…。
…とここまで書くと少しお分かりかもしれませんが、この作品は決して「しゃべれない志乃ちゃんかわいそう」な漫画ではありません。もちろん志乃のハンデは前提としてあるのですが、彼女も人の欠点を笑ってしまうという未熟な振る舞いをします。また加代も音痴というウィークポイントを抱え、後に二人に関わってくる菊地も「少し空気が読めない」という自覚があります。
つまり三人が三人とも、ちょっとした弱点や、思春期特有のコミュニケーションの未成熟さを抱えている。時にはストレートな表現で他人を傷つけ、しかし素直な気持ちを伝えることが不得手。この作品の魅力は、そんな彼女たちの心の有り様が実に繊細に描かれているところ。キャラクターたちは決して多くを語りませんが、その表情は実に繊細に描かれ、「この時彼・彼女はどんな気持ちだったのだろう?」という読者の想像をかきたてます。
この漫画は押見氏自身が「ただの『吃音漫画』にしたくなかった」と述べられている通り、作中に「吃音」「どもり」といった言葉は出てきません。主人公である志乃が自分の吃音と向き合う様子も描かれますが、私はむしろ、気持ちを上手に表現できない高校生たちが、未熟ながらも思いの丈を吐露していく成長過程がとても印象的でした。読むと少し、人の気持ちに寄り添うことができるかもしれない。そんな読後感が残る良い漫画です。
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の名言
急すぎる!?
じゃあ いつならいいの!?
そんなん言ってたら
あっという間にババアだよ!!
学園祭で二人で「しのかよ」として歌をうたおう、と提案する加代。それを自身が無いからと躊躇する志乃に向けた加代の叫び。思い立ったが吉日、ではありませんが、やる!と決めたら即実行!加代の性格を良くあらわしたセリフです。
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